恥の多い生涯を送っています

太宰治をこよなく愛する読書家の峻が綴る日記です。

自分を責めるのもうやめなよ

こんばんは。

峻です。



今日の「作品」×【テーマ】はこちら。

 

「新郎・太宰治」×【自分を責めない】



YOUTUBESNSを見て、

貴重な休日を布団の上でなんとなく過ごしてしまった自分を責めてしまう。

 

行動するにはまず計画が必要だ、でも行動はそれほどしたくない…

行動力が欲しい。

 

悩んでいることがあるけど、

なかなか解決に足を踏み出せない。

考えることから逃げてしまう。



そんな自分に厳しくて辛い思いをするあなたに処方箋をお届けします。






新郎・太宰治

一日一日を、たっぷりと生きて行くより他ほかは無い。明日のことを思い煩わずらうな。明日は明日みずから思い煩わん。きょう一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮したい。青空もこのごろは、ばかに綺麗きれいだ。舟を浮べたいくらい綺麗だ。山茶花さざんかの花びらは、桜貝。音たてて散っている。こんなに見事な花びらだったかと、ことしはじめて驚いている。何もかも、なつかしいのだ。煙草一本吸うのにも、泣いてみたいくらいの感謝の念で吸っている。まさか、本当には泣かない。思わず微笑しているという程の意味である。

 

 

本当にもう、このごろは、一日の義務は、そのまま生涯の義務だと思って厳粛に努めなければならぬ。ごまかしては、いけないのだ。好きな人には、一刻も早くいつわらぬ思いを飾らず打ちあけて置くがよい。きたない打算は、やめるがよい。率直な行動には、悔いが無い。あとは天意におまかせするばかりなのだ。

 

 

ああ、このごろ私は毎日、新郎はなむこの心で生きている。
┌昭和十六年十二月八日之を記せり。   ┐
└この朝、英米と戦端ひらくの報を聞けり。┘
(「新潮」昭和十七年一月号)

⚠︎一部ずつ抜粋しています。




太平洋戦争開戦の知らせが届いた日に書いた文章だ、と最後に記されています。

死を身近に感じた人が絶望して書いた文章なのでしょうか。

それとも、前向きに生きねばと気を引き締めた文章なのでしょうか。

 

僕は多少気が狂ってしまったのではなかろうか、と思っています。

 

主人公は死を前にして、

1日1日を丁寧に楽しく生きようとしていることが文章から伺えますね。


死を前にしてやっと毎日を丁寧に生きようと思ったのでしょうか。
普段、死を前にすることなんてないものですから。
どんな心持ちなんでしょうね。
安っぽい質問ですが『明日死ぬなら何をする?』という問いに対して
誠実な解答ができる生き方をしている方は少ないのではないでしょうか?


僕は毎日を丁寧に生きることが出来る人はとても立派だと思います。



でも、僕はそんな人は滅多にいないと思うし、

自分のだらしなさに辟易している人が作り上げた幻想なのでは?

と思います。


ですので、

毎日を完璧に生きることが出来る人などいない、と考えています。

 

誰にだって息を抜いてしまうことは必要だと思うし、

息抜きで触れているその自分の好きな物を大切にして欲しいと思っています。

 

疲れた時には好きな人が出てる

YOUTUBE見たっていいじゃないですか。

 

まずはアプリを消しましょう、すると行動力が上がります、とのたまう人がいますが
行動しなければダメという脅迫に近いと思います。
確かに毎日行動するチャレンジをすることは大事です。
立派ですが時には折れてもいいじゃないですか。

自分を許すのも大切な力だと思います。

そして、

行動したくない、と思う対象について一度考えるべきでは?と思います。



行動できなかった自分を責める

 

のではなくて、

なぜ自分は行動したくなかったのか?原因はなんだろう?と考え

 

自然に行動してしまうような好きなこと

を探す方がよっぽど健全だと思います。

  

ここは難しいかもしれませんが、

自分の心が動く方へ素直に向かっていくしかないみたいですね。



自分を責めてしまうほど心の動かないことからは一旦逃げてみれば、やめてみればいいんじゃないかな?

と思います。



ダイエットも筋トレも

自分らしく楽しく出来る方法を探しながら、

行動できなかった日こそ

行動したいと思える方法のヒントが隠れているのかもしれません。



ただ、方法論にこだわれ!

ということではなくて

色々やってみて、

やりたいくないと思ったこと

で自分を責めずに

 

「なんでやりたくないんだろ?」

「やりたくなる方法ってあるんかな?」

「そもそもやりたくないかも。」



と一度考えてみてはいかがでしょうか?




あなたが自己否定に酔うことなく

少しずつ自己理解を進め

歩んでいけることを祈っています。




それでは、素敵な夜を。

 

おやすみなさい。



自分から逃げるのもうやめなよ

こんばんは。

峻です。



今日の「作品」×【テーマ】はこちら。

 

「女生徒・太宰治」×【自分に素直に生きる】

 

なんとなく日々を過ごす中で、

周りに流されることが多いなと感じている人。

目標や夢を持って生きたい人。

納得感を持ってキャリアを選択できていない人。

 

自分に素直に生きるヒントをお届けします。

 

明日から自分の人生を自分の選択で生きられるように。



以下、引用

 

私の肉親関係のうちにも、ひとり、行い正しく、固い信念を持って、理想を追及してそれこそ本当の意味で生きているひとがあるのだけれど、親類のひとみんな、そのひとを悪く言っている。馬鹿あつかいしている。私なんか、そんな馬鹿あつかいされて敗北するのがわかっていながら、お母さんや皆に反対してまで自分の考えかたを伸ばすことは、できない。おっかないのだ。小さい時分には、私も、自分の気持とひとの気持と全く違ってしまったときには、お母さんに、
「なぜ?」と聴きいたものだ。そのときには、お母さんは、何か一言ひとことで片づけて、そうして怒ったものだ。悪い、不良みたいだ、と言って、お母さんは悲しがっていたようだった。お父さんに言ったこともある。お父さんは、そのときただ黙って笑っていた。そしてあとでお母さんに「中心はずれの子だ」とおっしゃっていたそうだ。だんだん大きくなるにつれて、私は、おっかなびっくりになってしまった。洋服いちまい作るのにも、人々の思惑を考えるようになってしまった。自分の個性みたいなものを、本当は、こっそり愛しているのだけれども、愛して行きたいとは思うのだけど、それをはっきり自分のものとして体現するのは、おっかないのだ。人々が、よいと思う娘になろうといつも思う。たくさんの人たちが集まったとき、どんなに自分は卑屈になることだろう。口に出したくも無いことを、気持と全然はなれたことを、嘘ついてペチャペチャやっている。そのほうが得とくだ、得だと思うからなのだ。いやなことだと思う。早く道徳が一変するときが来ればよいと思う。そうすると、こんな卑屈さも、また自分のためでなく、人の思惑のために毎日をポタポタ生活することも無くなるだろう。



自分の個性みたいなものを、本当は、こっそり愛しているのだけれども、愛して行きたいとは思うのだけど、それをはっきり自分のものとして体現するのは、おっかないのだ。人々が、よいと思う娘になろうといつも思う。

なんて切ない心の声なんだ、と僕は胸を打たれました。

幼少期、僕の母の口癖は「私の言う通りにしていればいいの。」でした。

宿題は親が言った答えを写して書く
暗記できない問題は友達にこっそり教えてもらう
とにかく習い事から何から何まで自分の意思を持って行っていたことは1つもないといっても過言ではありませんでした。
唯一熱中していたのはゲームでした。
ですが、これも自分がやりたくてやっていると言うよりかは友人たちがゲームをやっていて、それに合わせてやっていました。
人生の半分以上はそんな人の意見や思いに従って生きてきたと言っても過言ではありません。


なんとなく大学に入ったのも自分がバンドマンとして夢を追いかけると言う進路を諦めていたのではっきりいって自分の意志は尊重されていません。

ですので、大学入学後勉強に身は入らず、めちゃくちゃ面白くなかったと同時に周りの大学生も授業に身が入っていないとりあえず入学したと言うような人が多くて驚いたと言うのも正直なところです。
僕の親はとっても優しい人たちです。
特別な問題はない、普通の家庭です。(父はアル中ですが)


僕は個人個人が自分自分のキャリアについて真剣に向き合う機会が、子供のうちから多く用意されており、
ひとつひとつの選択が親の言う通りや周りの友達がやっているからと言う理由ではなくて
自分自身がこう思うから、と納得して選んで進んでいける道にたどり着けるような社会になってほしいと考えています。

 

しかし、太宰の女生徒のように周りの大人達は何か言ってきます。
一筋縄ではいかいきません。

僕が長期インターンシップに参加していた時に教育系のNPO法人に就職することを考えてると一言言ったときには
自分の上司たちには「気が狂ったのか。よせ。」と罵られ猛反対を受けました。
周りの大人たちは自分の追いかけた夢に素直になっているということよりも
自分が正しいと思った価値観を押し付けることによって相手を救おうと言うような動きをしてしまう人が多いのかな?と思います。
思いやりがある人ほど、やめておけという言葉をかけてきます。

 

環境に負けてはいけません。環境変えてください。
ネットに接続すれば自分に素直に生きていて、独特なキャリアを描いている人がたくさんいます。
今やステレオタイプにハマらずに自分らしく生きる道を模索し
自分らしく生きていくことが当たり前となりつつある事は素晴らしいと思います。
いまだに転職回数が多いと言うような社会にはびこっているのは自分の納得するキャリアを自分の力で切り開く力がいまいち学生の間にないからではないでしょうか?
飲み屋で会社の愚痴ばかり言ってる人が多い多いのには自分の納得するキャリアを自分の力で歩いている感覚がなくて、ただ自分を納得させるために自分をごまかして生きていった結果生まれたネガティブなパワーが働いてしまって口から愚痴がこぼれ出てしまっているのではないでしょうか?

 

辛辣なことに(そして素晴らしいことに)僕たちが向き合う現実が1つ1つ積み重なって今があります。
自分の気持ちをごまかしたり自分から逃げているうちはずっと辛いままだと思います。

たった1回でもいいので自分自身との対話の機会を設けてほしいなと思います。

さあ、紙とペンをもって5分でもいいので今の自分の想いをぶちまけてみてください。


きっと今この瞬間から自分の想いに気づくことができるはずだから。




それでは、素敵な夜を。



おやすみなさい。



謙虚なふりはもうやめなよ

こんばんは。
峻です。


本日の「作品」×【テーマ】はこちら、

ろまん燈籠・太宰治」×【真の謙虚さを知る】


対人関係でうまくいかずに悩んでいる人はぜひ。
感情に振り回されてしまう人にも。

自分では解決方法がよくわからない人におススメします。

これはロマンスと文芸が好きな5人の兄弟が
1つのお話をリレー形式で書いた小説です。

書いたのは太宰一人なんですが、
彼は他者の視点に立って文章を書くのが大の得意です。

(女性の日記読みこんで本音知りまくってる人はなかなかいないんじゃないかと思います。加えて人間観察が得意だったのだと思います。)


この話の面白いところは、
話が脱線してしまったところに太宰なりの愛に対する意見であったり、

面白い視点で人間観察した内容をちりばめているところです。

実際に読んでみるとかなりたくさん脱線していて面白いなぁと
感じます。
中でも1番面白いと思う点を引用して、自分なりの感想を書きます。

以下引用、

 

ラプンツェルは、たしかに、あきらめを知らぬ女性であります。死なせて下さい、等という言葉は、たいへんいじらしい謙虚な響きを持って居りますが、なおよく、考えてみると、之これは非常に自分勝手な、自惚うぬぼれの強い言葉であります。ひとに可愛がられる事ばかり考えているのです。自分が、まだ、ひとに可愛がられる資格があると自惚れることの出来る間は、生き甲斐もあり、この世も楽しい。それは当り前の事であります。けれども、もう自分には、ひとに可愛がられる資格が無いという、はっきりした自覚を持っていながらも、ひとは、生きて行かなければならぬものであります。
ひとに「愛される資格」が無くっても、ひとを「愛する資格」は、永遠に残されている筈であります。ひとの真の謙虚とは、その、愛するよろこびを知ることだと思います。
愛されるよろこびだけを求めているのは、それこそ野蛮な、無智な仕業しわざだと思います。ラプンツェルはいままで王子に、可愛がられる事ばかり考えていました。王子を愛する事を忘れていました。生れ出たわが子を愛する事をさえ、忘れていました。いやいや、わが子に嫉妬をさえ感じていたのです。そうして、自分が、もはや誰にも愛され得ないという事を知った時には、死にたい、いっそひと思いに殺して下さい、等と願うのです。
なんという、わがまま者。王子を、もっと愛してあげなければいけません。王子だって、淋しいお子です。ラプンツェルに死なれたら、どんなに力を落すでしょう。ラプンツェルは、王子の愛情に報いなければいけません。生きていたい、なんとかして生きたい。自分が、どんなにつらい目に遭っても、子供のために生きたい。その子を愛して、まるまると丈夫に育てたいと一すじに願う事こそ、まさしく、諦めを知った人間の謙虚な態度ではないでしょうか。自分は醜いから、ひとに愛される事は出来ないが、せめて人を、かげながら、こっそり愛して行こう、誰に知られずともよい、愛する事ほど大いなるよろこびは無いのだと、素直に諦めている女性こそ、まことに神の寵児ちょうじです。そのひとは、よし誰にも愛されずとも、神さまの大きい愛に包まれている筈です。

 


太宰に対して自殺オタクだろ?とネガティブなイメージを持ってる人は文章読んで少し驚かれたのかもしれません。
かなり常識的で思いやりがあり真実を見通し言葉にする力に優れていたのでは、と
考えられる文章を書いてます。

死なせてください、という言葉に対して
大変いじらしい謙虚な響きだけど、よく考えてみるとめちゃくちゃ自分勝手でうぬぼれが強くね?という指摘はすごく好きです。
さらには人に可愛がられることばかり考えているのです、と。
痛烈ですね。

 

人は誰でも人を愛する資格を永遠に残されるっているはずであって、
本当に謙虚な姿と言うのは人を愛する喜びを知ることであると言っています。
可愛がられることばかり考えるのではなくて、人を愛する喜びを知りなさい、これが真の謙虚さだと考えているようです。

 

この意見に対して僕は賛成であります。

すごくいいなと思います。
自分自身が自分ありきでばかり考えてしまっていて、
相手ありきで考えることができていない状態が僕にもありました。
独特な虚無感があります。
相手を思いやって話しているつもりの言葉が
特に相手ありきで考え抜いていない言葉であり、
謙虚なふり、謙虚なつもりで話した後、
独特な虚無感が訪れます。

真の謙虚とは人を愛する喜びを知ることだ。
人を愛する資格を存分に使うことによって、人から結果的に愛されることができればいいんじゃないかなと思います。
対人関係でお悩みの方はぜひ、まず人を愛する資格が自分にはある。
人を存分に愛してみる。
ただ人に愛される資格をばかり主張してはならない、
という太宰の主張を頭に浮かべてコミュニケーションをしてみてはいかがでしょうか?



それでは素敵な夜を。



おやすみなさい。



俳句でちょっとだけおしゃれにする休日の過ごし方

こんばんは。
峻です。


雨がたくさん振りましたね。
みなさんはどんな過ごし方をしましたか?


僕は根っからのインドア派なので基本座っています。
めちゃ座っています。
今日も変わらず座っていました。


幼少期は生粋のとなりのトトロオタクであり、
ビデオテープをまわしすぎて破壊してしまいました。


擦り切れて暗転したテレビ画面に音声だけが流れているとき、
セリフを暗唱していたそうです。
ホラーですね。(笑)
もちろんめっちゃ座って見ていました。



今日は大学でお世話になっていた俳人の日原傳先生の句をご紹介します。
むしむしして暑かったみたいなので、涼んでいってください!

 

 
引用元 

furansudo.ocnk.net

 

やっぱり先生の句は大好きです。
孤心を抱き、ふらふらと漂流しているような方だな~
と勝手に思っていますが、父親の側面もこの句集に垣間見えます。



梨食うて心すずしくなりにけり 


梨を食べた時のみずみずしさ、
そして爽快感。

胸の下にすーっと風が吹いて
去っていくあの感覚が呼び起こされますね。

よだれがでてきてしまったよ!
なんて人もいると思います。

果物には人の心を豊かにする不思議な魅力があると思います。

見た目の美しさもさることながら、
独特な甘みや香りを持ち、
滴る果汁に心が躍る、

そんな経験を誰もがお持ちなんじゃないのかなと思います。


薄緑の衣に包まれた真っ白で透明な姿を思い出すと
「ああ、心が涼やかだ。」と思ってしまいます!


あなたはどんな光景を思い浮かべましたか?

僕はもちろん、座ってきれいに等分された梨を食べてましたよ。
座ってね。


滴りて風の生まるるところかな

 

しずく目線の句ですね。
目線の置き方がかわいらしくて、
ただ小さきものですが
生む、という動詞によって威厳を感じます。

雫が滴ったときに発生する
音、ではなくて
水たまりに広がる波動や跳ねた時に感じるわずかな感触
に注目したところが非常に面白いですね。


扱う五感を変えてみると
素敵な切り取り方で風景を描写できるのかもしれません。


夕立や心許さぬ猫とゐて


猫もきっと夕立を一緒に見つめていたんでしょうね。
もしくは心許されていないくらいなので
自分のことをじーっと見つめているのかも。

動物と一緒に幻想的な風景を眺める姿がシュールでいいですね。
話し相手がいない時にそばにいてくれる動物って特別に感じます。


夕立って特徴的な夏の風景ですよね。
夏が少し楽しみだなー。


以上!
雨の句、というよりは夏の句でしたね!

最後のほうは座んねえのかよ!!
って思った方はツッコミが上手だと思います。
座りすぎだろ!
で終わってしまった方は平均レベルです。

何も思わなかった方はもう一回読み返してください。
(このブログではちょっとしたお笑い要素を混ぜていきます。注意してください。)


関東は雨がやんで静かなとっても過ごしやすい夜ですよ!


今日も素敵な夜をお過ごしください。



おやすみなさい。






 

告白したいならすればいいじゃん

こんばんは。
峻です。

明日は雨が降るみたいですよ!
お体冷やさないように気をつけて!
僕はここ三日間ずーっと
こほんこほん、ずるずる、音を立てながら猫背で生活してますよ。
人の振り見て我が振り直してみてくださいまし


今回は
題材×執筆テーマ

太宰治著『火の鳥』×【愛するってどういうこと?】


恋愛でお悩みのあなた、長くお付き合いが続かないあなた、口下手なあなた
恋人に相対したときに意識が変わるかもしれません。必見です。


では、語っていきます。

 

太宰治 火の鳥 引用

いいかい、真実というものは、心で思っているだけでは、どんなに深く思っていたって、どんなに固い覚悟を持っていたって、ただ、それだけでは、虚偽だ。いんちきだ。胸を割ってみせたいくらい、まっとうな愛情持っていたって、ただ、それだけで、だまっていたんじゃ、それは傲慢ごうまんだ、いい気なもんだ、ひとりよがりだ。真実は、行為だ。愛情も、行為だ。表現のない真実なんて、ありゃしない。愛情は胸のうち、言葉以前、というのは、あれも結局、修辞じゃないか。だまっていたんじゃ、わからない、そう突放つっぱなされても、それは、仕方のないことなんだ。真理は感ずるものじゃない。真理は、表現するものだ。時間をかけて、努力して、創りあげるものだ。愛情だって同じことだ。自身のしらじらしさや虚無を堪えて、やさしい挨拶送るところに、あやまりない愛情が在る。愛は、最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思っては、いけない。

 

 

 

数ある名文の中でも自分の恋愛観に衝撃を与えた名文です。

この文章に出会った時愛するってどういうこと?、という疑問が晴れた気がしてうれしくて
「愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思っては、いけない。」


と何度かつぶやいてしまいました。

ちょっとキモいですね。(笑)
顔はいたって真顔でしたよ。(なおさらキモイ。)

僕は太宰の受け売りに近いですが、
愛に見返りは求めてはならない、と思っています。
愛するということは相手に無償の愛をもって尽くすことだ、と思っています。

ただ、自己犠牲の精神ではありません。
相手ありきで考える、ということだと思っています。

そのうえで相手から
「こんなお返しがあるんじゃないか~?」
「こんな返事をいうに違いなーい!」

「こんなリアクションしてくれたらいいなー」

などなどの
自分に見返りがあるから、相手を愛する

ということではないよ
と僕は思うんです。
やましい気持ちはいらんのです。

ただふっと息を吐くように愛してしまう、愛しちゃっている
という表現が僕は好きです。
感覚的には自然体でいてただ素直に愛している
という感じ。

自分に酔っぱらっちまうということでもありません。
「こんなセリフ言ってる俺かっこいいわー」
という心の声は聞こえてきません。
自分ありきで考えすぎかもしれません。
(モテるには必要な感覚だとは思いますが)


・相手ありきで考え、素直に愛しているということを伝えてしまう

これが愛だと思います。

太宰は、思っているだけではだめよ、行為こそが愛、伝えなよ。
と言っていると僕は勝手に思っています。

自分の思っていることって人にマジで伝わってないですからね?
思っていることはちゃんと伝えてほしいなー。
個人的には恥ずかしがっていてもあまりいいことはないんじゃないかな、と思います。

愛は契約書にサインをして担保されるものではなくて
目に見えないつながりでつながっているものなのですから
お互い、表現しあうことでしか、つながりを保つことはできないと思います。



いきなりロマンチックなことばっかり書いてごめんなさいね。
太宰について書くならまずは愛やな!と確信がなぜかあったので書きました。


どうでしょう?
あなたの考えもあると思います。

今夜、眠りにつくまでの旅路のお供に【愛するってどういうこと?】
というテーマを連れていってみてはいかがでしょうか?


今日はもう遅いですから、明日になったらあなたの愛をお伝えしてみてはいかがでしょう?


ではでは、

素敵な夜をお過ごしください。


おやすみなさい。




好きなことで生きていく


こんばんは。

峻です。



note で無料記事たくさん書いてたんですが、有料コンテンツを多めにしようと思ってます。

今後完全無料で読めるブログを開設しました。



僕は本を読むのが好きで、

最近はビジネス本や心理学の本ばかりですが


詩集・絵本・俳句・純文学・小説を好んで読みます!



特に太宰治が好きです。

彼、実は俳句や詩もたくさん残してるんです!



本を読むこと自体が好きというよりは、


本を読み→思考する


ことが好きです。

思考する中でたくさんの発見があり

学びがあり、生きる知恵になります。



次回のテーマは

太宰治から学ぶ愛について


書こうと思います!




さらば読者よ、命あらばまた他日。

元気で行かう。

絶望するな。

では、失敬。


津軽太宰治