恥の多い生涯を送っています

太宰治をこよなく愛する読書家の峻が綴る日記です。

告白したいならすればいいじゃん

こんばんは。
峻です。

明日は雨が降るみたいですよ!
お体冷やさないように気をつけて!
僕はここ三日間ずーっと
こほんこほん、ずるずる、音を立てながら猫背で生活してますよ。
人の振り見て我が振り直してみてくださいまし


今回は
題材×執筆テーマ

太宰治著『火の鳥』×【愛するってどういうこと?】


恋愛でお悩みのあなた、長くお付き合いが続かないあなた、口下手なあなた
恋人に相対したときに意識が変わるかもしれません。必見です。


では、語っていきます。

 

太宰治 火の鳥 引用

いいかい、真実というものは、心で思っているだけでは、どんなに深く思っていたって、どんなに固い覚悟を持っていたって、ただ、それだけでは、虚偽だ。いんちきだ。胸を割ってみせたいくらい、まっとうな愛情持っていたって、ただ、それだけで、だまっていたんじゃ、それは傲慢ごうまんだ、いい気なもんだ、ひとりよがりだ。真実は、行為だ。愛情も、行為だ。表現のない真実なんて、ありゃしない。愛情は胸のうち、言葉以前、というのは、あれも結局、修辞じゃないか。だまっていたんじゃ、わからない、そう突放つっぱなされても、それは、仕方のないことなんだ。真理は感ずるものじゃない。真理は、表現するものだ。時間をかけて、努力して、創りあげるものだ。愛情だって同じことだ。自身のしらじらしさや虚無を堪えて、やさしい挨拶送るところに、あやまりない愛情が在る。愛は、最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思っては、いけない。

 

 

 

数ある名文の中でも自分の恋愛観に衝撃を与えた名文です。

この文章に出会った時愛するってどういうこと?、という疑問が晴れた気がしてうれしくて
「愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思っては、いけない。」


と何度かつぶやいてしまいました。

ちょっとキモいですね。(笑)
顔はいたって真顔でしたよ。(なおさらキモイ。)

僕は太宰の受け売りに近いですが、
愛に見返りは求めてはならない、と思っています。
愛するということは相手に無償の愛をもって尽くすことだ、と思っています。

ただ、自己犠牲の精神ではありません。
相手ありきで考える、ということだと思っています。

そのうえで相手から
「こんなお返しがあるんじゃないか~?」
「こんな返事をいうに違いなーい!」

「こんなリアクションしてくれたらいいなー」

などなどの
自分に見返りがあるから、相手を愛する

ということではないよ
と僕は思うんです。
やましい気持ちはいらんのです。

ただふっと息を吐くように愛してしまう、愛しちゃっている
という表現が僕は好きです。
感覚的には自然体でいてただ素直に愛している
という感じ。

自分に酔っぱらっちまうということでもありません。
「こんなセリフ言ってる俺かっこいいわー」
という心の声は聞こえてきません。
自分ありきで考えすぎかもしれません。
(モテるには必要な感覚だとは思いますが)


・相手ありきで考え、素直に愛しているということを伝えてしまう

これが愛だと思います。

太宰は、思っているだけではだめよ、行為こそが愛、伝えなよ。
と言っていると僕は勝手に思っています。

自分の思っていることって人にマジで伝わってないですからね?
思っていることはちゃんと伝えてほしいなー。
個人的には恥ずかしがっていてもあまりいいことはないんじゃないかな、と思います。

愛は契約書にサインをして担保されるものではなくて
目に見えないつながりでつながっているものなのですから
お互い、表現しあうことでしか、つながりを保つことはできないと思います。



いきなりロマンチックなことばっかり書いてごめんなさいね。
太宰について書くならまずは愛やな!と確信がなぜかあったので書きました。


どうでしょう?
あなたの考えもあると思います。

今夜、眠りにつくまでの旅路のお供に【愛するってどういうこと?】
というテーマを連れていってみてはいかがでしょうか?


今日はもう遅いですから、明日になったらあなたの愛をお伝えしてみてはいかがでしょう?


ではでは、

素敵な夜をお過ごしください。


おやすみなさい。